100mで9秒95という日本記録保持者の今注目のイケメン選手山縣亮太さん。
そんな山縣亮太さんのご家族は陸上に関わっていた方なのかどうかなど気になりますね。
そこで今回は「山縣亮太の父は社長で褒め育児がすごい!美人母や兄も徹底調査!」について調査してみました。
山縣亮太の家族構成
山縣亮太さんはお父様、お母様、お兄さんの4人家族です。
山縣亮太さんにはお兄さんがいらっしゃったのですね!
お兄さんがいるとなると何をしている方なのか陸上に関わっている方かなど気になってきます。
それぞれのご家族について細かく見ていきましょう。
山縣亮太の父親・浩一さん
山縣亮太さんのお父様は山縣浩一さんという方で2021年6月6日の時点で61歳です。
20代後半で血液のがんである悪性リンパ腫を患い数年間、闘病し克服されたそうです。
この時から帽子がトレードマークになり写真で写る山縣浩一さんはいつも帽子をかぶっておられますね。
また2019年に山縣亮太さんが日本選手権を欠場して帰省した際には、気分転換に一緒に釣りに出掛けたりと仲の良さもうかがえます。
そんな山縣浩一さんのお仕事についてやトップ選手を育て上げた育児方法についてご紹介していきます。
山縣亮太の父は会社社長
山縣亮太さんのお父様、山縣浩一さんは株式会社ニシヒロの社長でした。
株式会社ニシヒロとは広島にあるスポーツ用品や学校体操服の販売店です。
山縣浩一さんのお父様つまり山縣亮太さんのおじい様の山縣隆芳さんがJR西広島駅近くで現在のニシヒロ己斐店「西広島スポーツ」を創業しました。
山縣浩一さんは24歳の時からメーカーとユーザーの橋渡しを担っていたそうです。
社長さんだったとは驚きですが品の有る山縣亮太さんのお父様が社長と思うと納得もできます。
陸上と直接的に関わっているわけではなくてもスポーツ用品販売店ということで自分の息子の競技に関連があるお仕事というのも良いですね。
そして店舗では山縣亮太さんの横断幕が出ています。
スポーツ店という事もありますがやはり社長の息子という事できっと社員たち全員山縣亮太さんを応援しているでしょうね!
山縣亮太の褒め育児がすごい
トップアスリートに育てるには厳しい練習も必要なのかなと思います。
ですが山縣浩一さんの育児では怒る事はなく褒め続けることを意識していたそうです。
もちろん勉強をやりなさいなど悪いところは怒っていたそうですが陸上に関しては怒ったことはないとの事。
山縣浩一さんはインタビューで次のように語っていました。
「足が速くてどこに行っても褒めてもらえた。褒めてもらえると本人は嬉しくなって頑張るんです。試合に出て一番になって、ほとんど負けることがなかった時は、タイムがいいか悪いか僕には判断基準がなかったんですね。だから『よかったね』って褒めることはあっても、怒ったことがないんですよ。だから、陸上を嫌いにならずに済んだ。 彼も一生懸命かもしれないけど、僕らも仕事をしないといけないのですべてに寄り添うことはできない。ただ、想いを叶えさせてやりたいというのは当然忘れることはなかったし、正真正銘それを一身に思っていた」
引用元:Yahoo!ニュース
子供は親に認められて褒めてもらえる時が一番嬉しいですよね。
きっと山縣亮太さんも周りからはもちろんお父様に褒め続けてもらえたからこそモチベーションも下がることなく続けてこられたのでしょう。
とても素敵なお父様です。
山縣亮太さんの想いを叶えさせてやりたいという想いが山縣亮太さんに対してきっといつも一番にあったのですね。
とてもストイックな山縣亮太さんがこれまでまっすぐに陸上と向き合ってこられたのはお父様の育児法や想いがあったからこそなのかもしれません。
山縣亮太の母親・美津恵さん
山縣亮太さんのお母様は山縣美津恵さんという方でお父様の3つ年上の2021年6月6日の時点で64歳の方です。
お写真に写る姿を見ると肌がきれいで美しい方ですね。
そんな山縣美津恵さんの出産エピソードや山縣亮太さんとの仲良しエピソードを次にご紹介していきます。
山縣亮太の母の出産エピソード
山縣亮太さんは今では身長177㎝という高身長ですが産まれた時は1730gの未熟児だったそうです。
生まれた時から試練に立ち向かっていた。1992年(平4)6月10日。1730グラムの未熟児だった。新生児集中治療室で55日間。予定より2カ月早く産声をあげた体にはチューブが通され、呼吸は弱々しかった。
引用元:日刊スポーツ
未熟児で生死がままならない状態だったとは今の山縣亮太さんからは想像がつきませんね。
出産はとても幸せな出来事なのに生まれてすぐにNICUで小さな体に沢山のチューブが通されている姿を見ると親が本当に辛い思いをしたでしょう。
ご両親もとても心配していたでしょうしお母様が悪いことは何一つないですがやはり自分を責めてしまったときもあったかもしれませんね。
さらにその後、無事に一年間の外出禁止が解かれた日に出かけていた三重県伊勢市でも緊急入院したとの事です。
何かがあるたびにご両親は心配になり生きた心地がしなかったでしょう。
お父様山縣浩一さんの山縣亮太さんが未熟児で産まれた当時の日記も紹介されていました。
お父様の日記を読むと涙が出てきてしまいますね。
父親の山縣浩一さんでさえこんなに心配で不安な気持ちになっていたのですから実際に出産した山縣美津恵さんは相当不安でいっぱいだったでしょう。
本当に元気に育ってくれてさらにオリンピック選手にまでなって多くのファンに愛され応援される息子を見た時はとても感動したに違いありません。
山縣亮太は母と仲良し
山縣亮太さんはとてもご両親想いです。
日本新記録の9秒95を出した際はご家族の話も出していました。
「9秒台を意識し出したのは中学生の頃。長かった」と語った山縣選手は、10日に29歳の誕生日。「(新記録は)自分への誕生日プレゼントもそうだが、父の日と母の日に何もしてあげられていなかったので、両親にいいプレゼントになった」と、親孝行な一面をのぞかせ「家族は自分の調子がいい時も悪い時も、一番力になって支えてくれた存在なので感謝の気持ちでいっぱい」と述べました。
引用元:Yahoo!ニュース
とても嬉しい気持ちでいっぱいのときに一番に家族のことが出てくるのはそれだけ家族に対して本当に感謝の気持ちがあふれている証拠ですね。
そしてどんなときでも家族の支えというのは何よりも強い味方になったのでしょう。
そんな山縣亮太さんはセイコーホールディングスでの初任給でお母様にお母様が好きな梅酒をプレゼントしたいと話していました。
初任給に関しては「給料をもらったらまず親に何か買ってあげたいなと思います。気持ちを表せるもので。母親が梅酒が好きなので梅酒を買ってあげようかな」とした。
引用元:CycleStyle
初任給はやはり親へのプレゼントをすることも多いですが山縣美津恵さんも初任給で自分の為にと思ってくれたその気持ちが嬉しかったでしょう。
また山縣亮太さんはリオデジャネイロ五輪代表に選ばれた時にも次のように話していました。
「両親がいなければここまで陸上を続けてこれなかった」と感謝の想いを述べた山縣に、サプライズで母からの手紙が読まれた。
「こんなに恵まれた母は世界中のどこを探してもいないと思います」というメッセージだった。
「母親の言葉は心に刺さります。本当に嬉しかった」と喜びを示しす山縣。
引用元:CycleStyle
山縣亮太さんはご両親に対し感謝に気持ちがいっぱいなのはもちろんお母様も山縣亮太さんの母である自分が恵まれていると語っていますね。
母親と息子の愛にとても感動します。
自分のお母様にこのように言ってもらえることは親孝行が出来てるのかなと実感もできますし最高の褒め言葉ですね!
山縣亮太さんと山縣美津恵さんの仲が良くとてもいい関係というのは誰から見ても分かりますね。
山縣亮太の兄弟は兄の昌平さん
山縣亮太さんは昌平さんという二歳年上のお兄さんがいます。
上の写真は幼少期の頃の昔の写真ですが左側がお兄さんですね。
山縣亮太さんが陸上を意識しだしたのは小学3年生のときですがそのきっかけをつくったのは山縣亮太さんの兄、昌平さんだったようです。
陸上を意識したのは小学3年生の時だ。2つ上の兄が広島市のスポーツ交歓大会100mで7位に入賞して賞状をもらってきた。
「その賞状がすごく大きくて。うらやましいなって」
山縣少年は4年生になった翌年、満を持して、その大会に出場。すると、走る姿が地元 の「広島ジュニアオリンピアクラブ」の指導者の目に止まった。
引用元:文春オンライン
お兄さんの賞状が羨ましくて同じ大会に出て自分は優勝し賞状とメダルまでゲットするなんてすごいですね!
さらにこの大会をきっかけに陸上クラブのコーチからスカウトされ本格的に走ることになったそうでお兄さんが大会に出ていたおかげとも言えますね。
そしてもう一つ驚きなのがこの大会で他の選手たちはスパイクを履いていたのに対し山縣亮太さんはスポーツスニーカーで出場し優勝していました。
やはり走るための才能があったのかなとも思いますね。
山縣亮太さんも兄、昌平さんも走るのが早く運動神経のいい兄弟だったのですね。
陸上を始めたきっかけがご家族のお兄様というのも素敵なお話しです。
山縣亮太の怪我を支えたのは家族
今となってはしっかり結果を残している山縣亮太さんですがここまでくるまでに怪我や不調で苦しんでいた時期もありました。
上手く自分の理想の走りが出来なかったり早く走れなかったりということで悩むこともあると思います。
ですが山縣亮太さんの場合怪我というどうしようもない状況でもっと練習したいのに安静にしなければいけないというもどかしさもあったでしょう。
それに一度怪我で激痛を味わうと怖くなってしまうことも少なくないですよね。
そんな時にも山縣亮太さんのご家族が支えてくれたようです。
山縣亮太さんはお父様山縣浩一さんに次のように言われています。
「亮太は生まれたときに生きるか死ぬかという試練を経験した。だから、これからどんな困難があってもどうにかなるだろう」
引用元:現代ビジネス
お父様は生まれた時に未熟児だったこともありなおさら山縣亮太さんが元気に育ってくれているだけで幸せなのでしょう。
親にとっては何よりもそれが願いですよね。
そして生きるか死ぬかというときに元気に頑張っている山縣亮太さんを見て何にも負けない子になると信じていました。
山縣亮太さん達親子の絆を感じます。
山縣亮太さんのご家族は本当にみんな素敵な方でそんな家族を持つ山縣亮太さんも素敵な方ですよね。
まとめ
ここまで「山縣亮太の父は社長で褒め育児がすごい!美人母や兄も徹底調査!」についてまとめてきました。
山縣亮太さんのお父様は株式会社ニシヒロの社長で陸上に関しては怒ったことはなく褒め続けてきました。
山縣亮太さんはお母様とも仲が良くお互いに思いあっているのがリオデジャネイロオリンピックのコメントでもわかります。
そして山縣亮太さんが陸上を意識するきっかけとなっていたのはお兄さんでしたね。
未熟児で産まれた山縣亮太さんでしたが今ではオリンピックに選ばれる選手とまで成長していて今後の彼も応援し続けていきたいと思います。
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