氷川きよしの学生時代|デブきよしからモテモテに!変化がすごい!

氷川きよしの学生時代|デブきよしからモテモテに!変化がすごい!

2000年に「箱根八里の半次郎」で演歌歌手としてデビューした氷川きよしさん。

2019年にはジェンダーレスを公表し、ありのままの自分を表現しています。

すらっとしたスタイルが印象の彼ですが、中学生時代は太っていたことをご存じですか?

一方で、高校生時代はモテモテの学生生活を送っているんです。

そんな氷川きよしさんの気になる学生時代にフューチャーしていきます。

ぜひ最後までご覧ください!

目次

氷川きよしの学歴1|高宮中学校卒業でデブきよしと呼ばれていた

氷川きよしさんは1977年9月6日に、福岡県は福岡市南区に生まれました。

幼いころから歌うことが大好きだったそうです。

そしてもうひとつ、大好きなものがありました。

それは甘いものです。

その中でも、特に好きだったものがケーキでした。

近所のケーキ屋さんがあったことで、小学生のときから頻繁にケーキを食べていたそうです。

その結果、氷川きよしさんは小学生からどんどん太っていくことになりました。

氷川きよしの学生時代|デブきよしからモテモテに!変化がすごい!
引用元:Twitter

1990年4月に氷川きよしさんは、福岡市立高宮中学校に入学します。

小学生の頃から体重増加が止まらず、パンパンに太っていた氷川きよしさんは、いじめの対象になってしまいました。

同級生から「デブきよし」と言われていたそうです。

氷川きよしさんはこの経験から2019年に「メトロノーム」という曲を書いています。

オリジナルの「メトロノーム」は、子供時代の自分にかけてあげたい言葉を全部詰め込んだ曲です。そして、今、悩める子供たちへこの歌を捧げたいです。

引用元:SPICE

多感な時期のいじめは、本当に辛かっただろうと思います。

しかし、氷川きよしさんはいじめをバネに、ダイエット決意します。

氷川きよしさんが行ったダイエットは、寒天ダイエットでした。

寒天ダイエットとは食事前に、寒天を食べるというダイエット法です。

このダイエットが成功した氷川きよしさんは、どんどん痩せていきます。

おまけに成長期で身長も伸びたため、卒業間際には長身のイケメンへと大変身していました

氷川きよしの学生時代|デブきよしからモテモテに!変化がすごい!
引用元:Twitter

中学生にも関わらず、自分を制することができた氷川きよしさんの意志力、すさまじいですね。

一方、氷川きよしさんが歌手を目指し始めたのも中学生の頃でした

福岡市立高宮中学校は卒業生に森口博子さん、タモリさん、高橋真梨子さんなど多くの有名人が卒業されています。

そういう環境にあって氷川きよしさんは、徐々に芸能界を意識し始めます。

特に、森口博子さんから大きく影響を受けたそうです。

「中学時代に森口さんがテレビにたくさん出ていた。近くに感じ、歌手になりたいと思えた」

引用元:withnews

歌手を夢見た中学2年生の時には、平尾昌晃音楽教室のオーディションを受け、無事合格します。

氷川きよしさんは新聞配達のアルバイトで、レッスン代を必死に工面しましたが、結局経済的な理由で断念してしまったそうです。

中学生のうちから、相当な苦労や努力をしていたことが分かります。

氷川きよしの学歴2|福岡第一商業高校卒業でモテモテの学生時代

中学を卒業した氷川きよしは、1993年4月に福岡第一商業高校インテリアデザイン科に進学します。

福岡第一商業高校は2007年に校名を変更し、現在は第一薬科大学付属高等学校となっています。

偏差値は37 ~41と決して高くはありません。

高校に入学した氷川きよしさんは、長身でイケメンなうえに歌が上手いことあり、学校でモテモテだったそうです。

高1のバレンタインではチョコレートを10個以上貰っていたそう。

告白もしょっちゅうされていたらしく、断れない性格の氷川きよしさんは誰にでもOKを出していました。

ただ、二股をしたことはないようで、交際期間が極端に短かったそうです。

非常にうらやましいエピソードですが、氷川きよしさんがジェンダーレスを告白した今から考えると、氷川きよしさんは女性と付き合うことで男らしく生きようとしていたのかなとも感じました。

もちろん氷川きよしさんは、恋愛をするために福岡第一商業高校に入学したわけではありません。

当時の福岡第一商業高校には、芸能界を目指すための「芸能部」という課外授業やクラブを設けられていました。

歌手になるために、氷川きよしさんは福岡第一商業高校に入学しました

入学当初はポップス歌手を目指していた氷川きよしさんですが、歌の授業を担当していたおじいちゃん先生から衝撃の一言を言われます。

「私は演歌しか教えられない」と。

これが氷川きよしさんと演歌との出会いでした。

しかし、演歌を始めてからはどんどん演歌の魅力にハマっていったそうです。

「自分でも、演歌を聴いたり、歌ったりしているうちに『こんな世界があったんだ!』と面白くなってきて。こぶしなんかも分かってきて、どんどんのめり込んでいきました。演歌に出合わせてくれた先生には、今でも感謝しています」

引用元:Yahoo!ニュース

人生なにがあるか分かりませんね。

そして、氷川きよしさんは高校3の12月にときに、カラオケ大会素人参加型番組「BS歌謡塾・あなたが一番」に出演し、準優勝を勝ち取りました。

氷川きよしさんはそこで審査員をしていた作曲家の水森英夫さんにスカウトされ、演歌歌手を目指すため上京を決意します。

氷川きよしは大学には行っていない

氷川きよしの学生時代|デブきよしからモテモテに!変化がすごい!

上京した氷川きよしさんは演歌歌手を目指し、森本さんに弟子入りしたため大学には進学していません。

上京は氷川きよしさんにとって、相当な覚悟をともなうものでした。

「20年前、福岡から東京に出てきたときは、二度と故郷には戻れないと覚悟していました。当時はお金がなくて、帰るための飛行機代も出せませんでしたから。」

引用元:HOMINIS

水森氏に弟子入りした氷川きよしさんは、西新宿での下積み生活が始まります。

朝9時から夜6時までファミレスでアルバイトをしながら、歌のレッスンだけでなく、雑巾がけや水森さんのお世話もする毎日でした。

何度も怒られ、何度も破門されかけながら、懸命に耐え抜いたそうです。

しかし、3年経っても所属事務所が決まりません。

当時の演歌界では「若い男の演歌歌手は難しい」と言われていて、取りたがる所属プロダクションがありませんでした。

バイト仲間からも「もう3年経つけど、アンタいつデビューするの?」と言われる中で、氷川きよしさんを受け入れてくれたのが長良プロダクションでした。

長良プロダクションは、氷川きよしさんを全面的に売り出してくれたこともあって、下積み生活3年半を経た23歳の時に「箱根八里の半次郎」でデビューします。

「若い男の演歌歌手は難しい」と言われる厳しい時代の中で、氷川きよしさんが不可能を可能にした瞬間でした。

当時のことを振り返り、氷川きよしさんはこうおっしゃっています。

「18年間歌ってきましたけど、今が一番いいと思えるのがすごく幸せです。20代の時は、よく泣いていたし、いちいち言うことでもないですが、辞めたいと思ったこともありました。でも、そういうつらい時があったからこそ、今が楽しいのかなって」

引用元:引用元:Yahoo!ニュース

人一倍努力して、人一倍耐え抜いた氷川きよしさんが言うからこそ、説得力をもつ言葉だと思います。

まとめ|氷川きよしと西川貴教が似てる

いかがでしたか?

氷川きよしさんの「デブきよし」といじめられた中学生時代から真逆のモテモテ高校時代。

まるでラブコメマンガのような話でした。

一方、中学生時代から夢を追い続け、夢が叶うまでひたむきに努力を続ける氷川きよしさんの姿は感動しました。

現在はジェンダーレスを公表し、新たな活躍されている氷川きよしさんに今後も目が離せません。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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